FC2ブログ
2019年07月 / 06月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫08月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告

2011.10.17 (Mon)

メインストーリーを更新したい

ある日、僕は18禁同人ゲーム 
恋と性欲のRPG『ロマンス・オブ・ファンタジー』をプレイしていた。
ストーリー雑だなぁとか、敵キャラ(全員女)の衣類を破壊して裸にさせる「アーマーブレイク」がうまくできた!!とか。そんなプレイしている中で、イベントの節目節目で表示されるソレに、僕は何か釘付けになった。

メインストーリー更新

めいんすとーりーこうしん・・・・
心の悩みの精神医学 :著 野村総一郎 昔書いた記事は読み返すと稚拙だなと感じ赤面してしまうのであまり貼りたくない。のだが


気になったのは欝について書かれていた第二章。
野村先生はうつ病患者の性格形成についてとある仮説を立てている。

それは患者の生まれつきの部分(先天性)として「物事の重み付けがわからない」という仮説だ。
つまり「物事の重要性ランクが把握できていない」という事だ。
些細な事も本当に大事な事も、その事柄の重要性は変わらないという事だ。
それが=几帳面生真面目完璧主義になっているという…


メインストーリー更新という言葉概念が僕には何かしっくりきた。自分にとってのメインストーリーとは何か。今やっていることはメインストーリーなのかプライオリティが高いことなのか。それを考えるとどうでもいい事は適当にできるようになった気がした。100均でもそれなりに気楽に買えるようになった気がする。メインじゃないしプライオリティ低いし。 

メインストーリー更新という概念を手に入れることができた。
恋と性欲のRPG『ロマンス・オブ・ファンタジー』は税込価格1575円だがそれ以上のものを僕は与えられた気がした。ありがとう。恋と性欲のRPG『ロマンス・オブ・ファンタジー』
スポンサーサイト
22:07  |  概念  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2011.09.11 (Sun)

カイロス時間

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B9

カイロスの風貌の特徴として、頭髪が挙げられる。後代での彼の彫像は、前髪は長いが後頭部が禿げた美少年として表されており、「チャンスの神は前髪しかない」とは「好機はすぐに捉えなければ後から捉えることは出来ない」という意味だが、この諺はこの神に由来するものであると思われる。また、両足には翼が付いているとも言われている。オリュンピアにはカイロスの祭壇があった。
ギリシア語では、「時」を表す言葉が καιρός と χρόνος の2つがある。前者は「時刻」を、後者は「時間」を指している。

クロノス時間とは、過去から未来へと一定速度・一定方向で機械的に流れる時間。
一方、カイロス時間とは、速度が変わったり繰り返したり逆流したり止まったりする、人間の内的な時間。


ウテナの考察をしているサイトさんでこういう概念を知りました。手に入れました。カイロスタイム。自分の中でこの概念ってすごい便利というか、整理できなかった事柄にカイロス時間っていう整理箱を頂いたような気分です。ありがたいです。

僕がTOMOVSKYを好きな理由が分かった気がします。なぜなら彼の曲は停止したカイロスタイム感を感じる事が出来るからです。そしてそれがまたメンヘラっぽくもあります。
たまに街中でその人の若い頃に着ていたであろう服を未だに着ている人を見かけます。彼、彼女の中ではなにかが止まっているのかもしれないですね。
仮に苦痛な停滞したカイロスタイムがあったとしても、それが何らかの形で流れ出すと、人は心理的に復活したり、良い意味でブログを止めたりするのかも知れないなぁとか思ったりしたのです。
21:11  |  概念  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2011.04.08 (Fri)

優先順位

優先順位 ゆうせんじゅんい (一般)
取りかかるべき物事が複数ある場合、取りかかる順番を決めること。


 優先順位をつけることは仕事にかぎったことではなく、個人の日常生活においても同じく重要なことです。 日常のささいなことも無意識に優先順位をつけているはずです。 優先順位を無意識に決めるのではなくて、常に意識的に決めていくことが重要です。 そうすることによってなにごとにも問題意識が持て、それが人間を育ててくれるからです。
 日常生活で(人生)さまざまにことに自分の納得のいく優先順位をつけることさえできれば、生きる苦しみは劇的に減ると、私の経験からは断言できます。 無意識のうちに優先順位を決められないでいるから、生きることが苦しくなってしまうのだと、この年になって思います。
 優先順位をつけられないから頭の中がこんがらかって、できることもできなくなるのではないでしょうか。 私はそうでした。 自分にとって大切なものは何か。 それを知ることは、生きることを理解することでもあると思います。 p://www4.plala.or.jp/k-k/komoku180.html


中途半端に頭がいい人は、仕事に優先順位をつけ「やることリスト」をずらりと並べる。例えば、先ほどの「新聞記事を読む」も、おそらく彼のリストに追加されたことだろう。しかし、そのリストの最後尾に加えられたタスクはへたどり着く前に、あなたはさらに新たな「やること」を次々と追加し続けるだろう。そして「新聞記事を読む」タスクはまたさらに後方へと押しやられるのだ。
 つまり、最後尾の仕事は永遠に実行されない。仕事とは本来、そういうものなのだ。仕事ができる人は、メールを開いたら「後で」ではなく「その場で」返信を打つ。誰かと食事をしましょう、となったら「そのうち」ではなく「その場で」食事の日取りを決める。これが、仕事ができる人の行動パターンだ。
 本当に大切な仕事のほとんどは、締切がない。つまり「緊急」ではない。しかし「緊急でない重要事項」をどれだけ成し遂げたか、でその人の人生が決まる。
 「緊急事項」にばかり追われている人は、ストレスに押しつぶされ、自分の人生を自分でコントロールできないままに一生を終わるのだ。そうなりたくないのなら「緊急でない重要事項」に出会った時には、すぐその場でその仕事を片付けるべきだ。締切のない重要事項に日付を入れ、その場ですぐに処理してしまうのだ。そうすれば、あなたの未来は変わっていく。幸せな人生へと一歩ずつ近づいていくだろう。
 「仕事に優先順位をつけるな」。世の中のセオリーとは逆だが、1つの真理である。(小倉広)p://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/27/news009.html
23:53  |  概念  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2010.11.14 (Sun)

弁証法

弁証法(ヘーゲル)

テーゼがあってアンチテーゼが生まれてアウフヘーベンされてジンテーゼになる
以下ループ

世界の変化発達の法則であります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95

ヘーゲルの弁証法 [編集]
ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。なおカトリックではaufhebenは上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)の意。

ソクラテスの対話と同じように、ヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。その過程のそれぞれの段階は、その前の段階に暗黙的に内在する矛盾の産物とされる。 またヘーゲルは、歴史とは一つの大きな弁証法、すなわち奴隷制という自己疎外から、自由と平等な市民によって構成される合理的な法治国家という自己統一へと発展する「精神」が実現していく大きな運動だと認識した。

参考: Thesis, antithesis, synthesis
「しばしば、ヘーゲル哲学の方法は弁証法であると言われている。そのことは正しい。しかしながら、もしも、ヘーゲルがあらかじめ弁証法という方法を形式的に規定しておいて、これを個々の対象思考に適用するという風に考えるならば、それは由々しき誤解である。ヘーゲルは、おそらく、その全著作の何処を探しても、方法としての弁証法なるものを、具体的思考から切り離して、一般的抽象的に論考したためしはない。彼はただ対象に即して考えるにすぎない。彼が対象に即して、対象の真理を具体的に把握するに適するように、自由に考えながら進んでいった過程が、いわば後から顧みて、弁証法と呼ばるべき連鎖をなしていることが見出されるのに過ぎない。極言すれば、理性的思考がいわゆる正反合の形態を具えているということは、抽象的形式的に基礎づけることは出来ない事柄である。そして、いわゆる弁証法的契機(例えば綜合)の具体性ということも、結局、対象を内包する理性内容の具体性に依存するものに外ならない。それ故に、ヘーゲルの哲学を理解するために、その内容から切り離されたいわゆる弁証法だけをとり出して、これを解釈したり論考したりすることは、むしろ不必要である。」矢崎美盛著『ヘーゲル精神現象論』



難解であります。途中で視界がぐにゃあとなります。哲オタは小難しくてたまらないですね。

SFAはちょいアンチテーゼを促す手法かと思われます。
20:53  |  概念  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2010.11.12 (Fri)

中庸

中庸

僕が死んでもずっと残る概念がある。中庸はどこまで残るんだろうか。認知療法もこの概念の影響下にあるだろう。


http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E4%B8%AD%E5%BA%B8&match=beginswith&itemid=13201500

ちゅうよう 【中庸】

(名・形動)[文]ナリ

考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。中道。
「―を得る」「―にして過甚ならず/西国立志編(正直)」



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%BA%B8

中庸』の「中庸」について [編集]
「中庸」の「中」とは、偏らない、しかし、決して過不及の中間をとりさえすればよいという意味ではない。よく、中途半端や50対50の真ん中と勘違いされている。中間、平均値、足して2で割るというものではない。常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚でも理解できるものである。

「庸」については、朱子は、「庸、平常也」と「庸」を「平常」と解釈しており、鄭玄は「・・・庸猶常也言徳常行也言常謹也」と「庸」を「常」と解釈している。「庸」が「常」という意味を含んでいることは二人とも指摘している。現在、多くの学者たちは「庸」が「平凡」と「恒常」との両方の意味を含んでいると見ている。

中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、学問をした人間にしか発揮できないものではなく、誰にでも発揮することの出来るものでもある。恒常的にいつも発揮することが、難しいことから、中庸は儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす最高概念であるとされる。


00:58  |  概念  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。